アマチュア通信

趣味と学校外学習を科学する

2017-12-01から1ヶ月間の記事一覧

落合 (2017) 超AI時代の生存戦略

落合さんのような一流の研究者が、一般書のレベルでいろいろ思考を開陳してくれる状況は素直に楽しい。まれびとハウスに出入りしていただとか情報学環の先輩だとかで勝手に親近感をいだいているせいもある。 57ページに「ものごとには透明性と趣味性があって…

【論文紹介】遠藤・友田 (2000) 社会教育に対する文化行政からの問題提起について

梅棹忠夫は1970年代に「教育はチャージ・文化はディスチャージ」論を展開することで,文部省―教育委員会ラインの社会教育行政ではない,首長部局による文化行政に勢いをつけた.「あそびの世界」を支えるには,学校教育が大きなウェイトを占める教育委員会の…

レッシグ (2004) Fee Culture

インターネット時代において,著作権という制度は制作物を保護する機能に偏重していて,過去の制作物を活用した創造を疎外してしまっていると論じた本.著者はサイバー法の研究者にして活動家のレッシグ.創造性というのは蓄積されてきた文化を素材にして発…

学習/芸術制作と政策担当部局の分離

1)学習と芸術制作はひとつの活動の両側面である 学習科学は,学習と制作活動は統合されたものと考える.「つくることでまなぶ」というやつだ.サイバー法の Lessig が,J. S. Brown に言及しながらこういう表現をしていた.とても良い表現だと思う. 文化…

研究者もハッカーになろう

1)ハッカーの開発は互酬性で成り立つ Eric Raymond は,なぜハッカーたちがオープンソース・ソフトウェアが開発できるのかを,人類学の互酬性の概念を使って説明したことで有名.開発者は金銭ではなく名誉で報酬を得ているという彼の議論は,アマチュアに…

ばるぼら, さやわか (2017) 僕たちのインターネット史

僕たちのインターネット史 作者: ばるぼら,さやわか 出版社/メーカー: 亜紀書房 発売日: 2017/06/17 メディア: 単行本(ソフトカバー) この商品を含むブログ (3件) を見る 日本でインターネットがどのようなものとして語られてきたのかを、前史として80年代…

「可能性の実現」の時代

20世紀は「実現可能性」の時代だったけど,21世紀は「可能性の実現」の時代になると思っている.結果が先にあってそれに至る過程の効率性で勝負するのではなくて,まだ明瞭に像を結んでいない結果を呼び込むことが求められる時代になるだろうと. そのために…