アマチュア通信

趣味と学校外学習を科学する

「可能性の実現」の時代

20世紀は「実現可能性」の時代だったけど,21世紀は「可能性の実現」の時代になると思っている.結果が先にあってそれに至る過程の効率性で勝負するのではなくて,まだ明瞭に像を結んでいない結果を呼び込むことが求められる時代になるだろうと.

そのために,(1)「何か」が生まれそうな気配について記述するための言語を手に入れることとと,(2)「何か」が生まれそうな気配を醸成するための方法を手に入れることをしたい.どこに向かっているかは分からないけれど,ひたすら熱量だけはあった青春時代や,オルタナティブを模索し続けるアヴァンギャルド運動のような,そういう混沌さを直視するまなざしを手に入れたい.

どんな領域に依拠すると,こういうことができるだろう.課題解決型のイノベーションは半分くらい20世紀ぽさがあって,この文脈では違うかなと思っている.学習科学はそういう意味で共感するところは多い.

とはいえこういうことは「研究」としてやりたいというよりも,もっと実存的な問題なので,別に学問領域に依拠しなくても,文芸とかアートとかの言語でそれができればいいと思っている.

 

 「1になりそうな0」の話も,要は同じこと.

ksugiyama.hatenablog.com