アマチュア通信

趣味と学校外学習を科学する

1になりそうな0

むかし,イノベーションとか起業とかに興味のある人たちから,「0から1を生み出す」ということをよく聞いたものだった.いまそれを振り返ったときに,自分がやりたいことは「1になりそうな0」と「0のままの0」の違いは何か知ることや,「1になりそうな0」を生み出すことになる,と思う.その0から実際に1を生み出すかどうかは,タイミングにもよると思うし,各人がめいめいやってくれ.でも,もし1を生み出したいと思った時に,「0のままの0」しか与えられていないのは不幸なことだから,どうにかしておきたい.せしもくんはこれを「種をまく」って表現してくれた.あるいは土をたがやす,みたいなことかもしれない.

「1になりそうな0」は可能性とか潜在性のことなので,なかなか「結果」「成果」として表現しにくい.例えばコモンズでの学生間コミュニケーションを考えた時には,コミュニケーションが起きていたら「1」,起きていなかったら「0」をつけることになる.成果としては,コミュニケーションが起きていないなら「1になりそうな0」と「0のままの0」には違いがない.でも,最近感じるのは,直接コミュニケーションを起こそうとする=1を生みだそうとする,よりも,コミュニケーションが起きそうな環境をつくる=1になりそうな0を生み出す,ことの方が,学生も求めているし,その方が持続可能なデザインだと思う.

いきなり1を生みだそうとすると,「いついつに集まりましょう」「こういうことをやりましょう」と,かなりの巻き込み・巻き込まれを要求する.これが多くの人にとっては面倒くさい.色々やることがあって予定も詰まっているんだから,同じタイミングで1に関与できる人はそうそういない.で,1が実現できないと結構悲しい気持ちになるし,やる気が削がれる.

でも,「1になりそうな0」をつくる場合は,そこまでの巻き込みは必要ない.「もしかしたら今後コミュニケーションとるかもしれないな」という人の存在や,個々人の活動を可視化するとかして,コミュニケーションの種をまいておくことは着手しやすい.Facebookに定期的に投稿する,みたいなのもそんなもんで,個々の投稿に逐一コメントはつかないけれど,たまに誰かが気が向いたら相手してくれる,そんな可能性をしつらえておくことは今からできる.1になるかもしれないし,ならないかもしれない,くらいなら気楽にできる.

「1になりそうな0」は見えにくくて地味なんだけど,それがあると1の持続性やレジリエンスも高まると思う.文化振興ってこういうことをやるもんじゃないかな.