村上春樹 (1998) 使いみちのない風景
学会帰りの道すがら、松江にartos(http://www1.megaegg.ne.jp/~artos/about.html)という本屋がありそこで手にとった本。良いセレクトショップだなという店内の雰囲気と旅情があいまって自然とこの本になった。僕たちの記憶の中に断片的に残されている旅の風景。それを使って何かをするということはできないけど、でもそんな風景の集まりが、何か自分という存在を引き出してくれるような気もする。「あーあるよね、そういう風景」、と言われてみれば思い当たるふしもあるが、それを「使いみちのない風景」と一言で名指してみせるのは、やはり文学者のえらいところだなと思う.
学習環境:制度化のグラデーションとして
学習科学におけるフォーマル/ノンフォーマル/インフォーマル、in-school learning / out-of-school learning のような区別(*1)を、学習環境がいかに制度化されているのかという問いへの回答として、その回答のグラデーションとして捉え直したいと思っている。
こうした区別は今のところ実践的な問いを立てるために用いられている。学校内と学校外の学びをいかにつなげるのか、という問題は2016年9月の『認知科学』23巻3号で特集されているし、Brigid Barron と Philip Bellによる2015年の out-of-school learning に関するレビュー(*2)でも提示されている。あるいは、インフォーマルな学びをいかに認証・評価するのかという問いは、職業訓練としての成人教育の文脈でOECDも調査を行なっている(*3)。
フォーマル/インフォーマル、学校内/外という区別は明快だけれど、単純すぎて不便なきらいがある。趣味の研究は、ディシプリンの中では基本的にインフォーマル学習・学校外学習を対象にしているという位置どりをすることになるが、趣味の場でフォーマルな学習環境がないかと言われればそうでもない。訓練がカリキュラム化されているピアノ教室のような学習環境は、公教育ほどではないにせよフォーマル性が高い。学生オーケストラのような団体も、新入生への教授過程をある程度制度化しているところがある。趣味の学習環境にも、グラデーションのようにフォーマル性からインフォーマル性が存在しているのである。
こうした学習環境の特性をより粒度高く捉えるためにも、「学習環境がいかに制度化されているのか」という理論的な問いのもとに諸研究を位置づけなおすのが有効だと思う。そこでは、定型的な教授過程をもつことは学習環境にとってどのような意味をもつのか、教師がいること/いないことによって実践の様相はどのように変わるのか、といった、ある意味で教育の根源を問うような課題が引き出されていくだろう。Jean Lave に限定せずに人類学を掘っていくとよいかもしれない。
PBLのような学習を取り入れたり支援する学校も増えているけれど、学校のなかにはそれをフォーマル教育に組みこもうという気はなく、部活動やそのほかの趣味と同じカテゴリの活動に位置づけているところもある。学生がやりたいことをやるのだから余計な口出しはしませんというスタイルだ。アカデミックコモンズを設置する大学でもそういうところはあるだろう。新しい学習指導要領も「社会に開かれた教育課程」をキーワードにしている。こうした動向を受けつつ,学習環境がどれだけ制度化されているのかはかなりケースバイケースで捉えがたくなっているので、なおさら理論的な道具立てを鍛えたほうがよいのではないかな。
*1 例えば,教育工学選書Ⅱの第2巻『インフォーマル学習』にはフォーマル/ノンフォーマル/インフォーマルの区別が概観されている.
*2 Barron and Bell (2015) Learning environments in and out of school. は,Handbook of Educational Psychology の第3版に収録されている.
Handbook of Educational Psychology (Educational Psychology Handbook)
- 作者: Lyn Corno,Eric M. Anderman
- 出版社/メーカー: Routledge
- 発売日: 2015/08/11
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*3 『学習成果の評価と認証』にまとまっている.
日本教育工学会全国大会で研究発表をしてきます
日本教育工学会(JSET)の全国大会が9月16日~18日に島根大学で開かれます.大会では以下のポスター発表をしてきます.
P1p-35 杉山昂平・森玲奈・山内祐平「趣味を実践する学習環境における個人的興味と共同体の関係性――アマチュア・オーケストラを事例にして」(一般研究3 ポスター(P1p) 9月16日(土) 14:00〜15:20 会場:大学会館)
https://www.gakkai-web.net/gakkai/jset/taikai33/program/program.html#P1p
修論のデータを博論に向けて「趣味における個人的興味と共同体の関係」という理論的文脈に位置づけ,再解釈する内容です.
Out-of-School Learning 研究は間違いなく面白いので,日本でも研究が盛んになるよう頑張っていきたいです.大会では研究発表だけでなく論文投稿セミナーも開かれるので,しっかり勉強してこようと思います.お目にかかったらみなさまよろしくお願いします.
クラシックな研究をしたい
研究室夏合宿への参加、今年は助教の方々に研究デザインを聞くセッションがあって大変勉強になった。斬新なアイデアで教育システムを開発して新しい学びの世界をつくろうとする人がいれば、フィールドに飛び込んで現場の面白さを伝えようとする人がいて、めざす研究像は多様である。
話を聞いていて、自分の目標として「クラシックな研究をする」という言葉が浮かんできた。それはつまり、学説史的に古典的で王道の概念や問題を、全く新しい対象において考えなおすことで学説史の発展をめざす、というスタイル。もともと松岡正剛の千夜千冊が好きだったこともあって、文献どうしが関連づけられた大きな流れを見いだすことが好きだ。研究をするときに「先行研究に自分の研究を位置づけなきゃいけない」みたいな気負いはなくて、むしろ先行研究に位置づけることが一番おもろいやん、と感じる。
以前はこういう嗜好はあんまり他の人には伝わらないかなと思っていたれど、合宿から帰ってきて家の人と話していて思うには、彼女には普段の会話のなかで伝わっていたようだ。案外、分かってくれる人はいるのかもしれない。
エンゲストローム(1987)拡張による学習――活動理論からのアプローチ
読むまでは本の性格がよく分かっていなかったが,読んでみてあくまで介入のためのマニフェストなんだなと納得した.活動システムの図が有名な割に,学説史的にどういう意義があるのかほぼ分からない本である.ただ翻訳においては原著から――「全体を読み通すのに容易であるようにと考えて」――割愛された部分があるので,そこに記述があるのかもしれない.あるいは,レオンチェフを読んだほうがいいのかもしれない.
「拡張的な発達研究」においても「活動システムの分析」のステップは存在しているが,その分析をどれだけ豊かにできるのかという方向性での研究は進んでいるのだろうか.本書では「対象と道具に注目しよう」程度のことしか言っていない.一方で,「活動システムの分析」自体は,エスノメソドロジーやSTSといった分野がそれを究極的な目的にして研究しているぐらいなのだから,そう簡単に分析をやり遂げられるようなものでもないと思う.
「文化歴史的活動理論(Cultural Historical Activity Theory: CHAT)の文脈に位置づけられた研究において活動システムの分析がいかにやり遂げられているのか」という問いは先行研究を読むときに意識しておきたい.介入先行で分析が手薄な研究というのは学術的新規性が全くわからないものになりがちだから.
- 作者: ユーリアエンゲストローム,Yrj¨o Engestr¨om,百合草禎二,庄井良信,松下佳代,保坂裕子,手取義宏,高橋登,山住勝広
- 出版社/メーカー: 新曜社
- 発売日: 1999/08/05
- メディア: 単行本
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日本社会と「楽しさ」
なぜ自分が大人の趣味を研究しているのか,問題意識に近いと思った記事とツイート.ぼくたちは楽しさを培っていく日本社会を,まだ知らないのだ.
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これはスポーツ観戦でも美術館でも動物園でも博物館でも一緒。大人になったら、楽しさのほとんどは「リテラシー」で決まる。同じソフトを入力しても、そこからどれだけ多くの「物語」を読み取れるかで、その体験の価値は大きく変わる。その能力は「センス・オブ・ワンダー」と呼ばれる。
これはスポーツ観戦でも美術館でも動物園でも博物館でも一緒。大人になったら、楽しさのほとんどは「リテラシー」で決まる。同じソフトを入力しても、そこからどれだけ多くの「物語」を読み取れるかで、その体験の価値は大きく変わる。その能力は「センス・オブ・ワンダー」と呼ばれる。
— たられば (@tarareba722) 2017年1月4日
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海外では、学校でスポーツをやらず、地域のクラブに所属してプレーが継続できる(習慣がある)ため「期間限定」なんて発想は全く存在しない。ましてや中学、高校生、大学生が“引退”という言葉を平気で使うのは日本人にしかない感覚であろう
概念のヴィジュアライゼーション
そのうちグラフィックデザインの学校に通いたいと思っている.研究の内容を可視化する技術を身につけたいからだ.特に,概念や理論をいかにしてビジュアライゼーションするのか,という点に問題意識がある.
数量的なデータを扱うことはあまりないので,グラフを使ったデータビジュアライゼーションにそこまで入れ込む必要は今のところない.一方で,言語的なデータや,データと先行研究をもとに作成した,概念体系は分析や論文でも頻繁に使う.こうした質的な内容を要約し,可視化する技術を身につけたい.何度も公に使うようなグラフィックはプロのデザイナーに頼んでもいいと思っているけれど,デザインについて基礎的な理解がないとうまくプロに発注することもできないだろう.何より日常的にグラフィックを生産できると,ゼミや日々の議論の材料となっていいはずだ.
Ernst Haasという写真家の作品"The Creation"は,創世記の物語を写真で表現したものらしい.そういう図像表現による概念のrepresentationをある程度使いこなせるようになりたい.