アマチュア通信

人々の趣味や遊びとそれを捉える視点

領域固有の認知を知るための文献リスト

認知心理学,特に熟達研究では,認知の領域固有性(domain specificity)は鍵概念である.チェスの熟達者は,チェスに関して体制化された知識を特定の条件――例えば駒の配置――に応じて活用することができる.だが,その知識はあくまでチェスという領域において優れているのであって,チェスの熟達者が物理学の熟達者であるとはもちろん限らない.世の中には領域一般的な知識やスキルも存在しているが,領域固有の知識を身につけない限り,専門家になることは難しい.

何より領域固有性を身につけることこそが,その領域の面白さを味わえることである.これは,R. A. Stebbins の「シリアス・レジャーには専門的な知識とスキルがともなう」という主張や,「興味は領域・対象固有な動機づけである」という心理学の主張から裏付けられる.領域固有性に自分自身とても関心をもっている所以である.チェスを楽しむには,チェスに固有な知識やスキルが求められるし,チェスに対していだいた興味は,物理学にいだく興味をは質的に全く異なるはずだ.ある人の興味や趣味の面白さについて知るには,そこにどんな領域固有性が存在しているのかを理解する必要がある.

領域固有の認知を知るための文献リスト

入門編として日本語で読める文献リストをつくりたい.なるべくなら書籍で.

数学的思考: 人間の心と学び

数学的思考: 人間の心と学び

 
子どもの概念発達と変化―素朴生物学をめぐって (認知科学の探究)

子どもの概念発達と変化―素朴生物学をめぐって (認知科学の探究)

 

ci.nii.ac.jp

歴史的思考――その不自然な行為

歴史的思考――その不自然な行為

 
演奏を支える心と科学

演奏を支える心と科学

 
学習科学ハンドブック 第二版 第3巻: 領域専門知識を学ぶ/学習科学研究を教室に持ち込む

学習科学ハンドブック 第二版 第3巻: 領域専門知識を学ぶ/学習科学研究を教室に持ち込む

  • 作者: R.K.ソーヤー,R.Keith Sawyer,秋田喜代美,森敏昭,大島純,白水始,望月俊男,益川弘如
  • 出版社/メーカー: 北大路書房
  • 発売日: 2017/09/28
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
 
第27章:数学 第28章:科学 第29章:歴史 第30章:読み書き 第31章:芸術

 

#遊びの哲学 に参加して――遊びのなかの自由と自律

木村洋平さんが主宰する哲学カフェが「遊び」をテーマにしていたので参加した.

idea-writer.blogspot.jp

木村さんによる「遊び」概念の博物誌をうかがって面白かったのが,遊びには

  • 自由――日常のルールからの脱出
  • 自律――別世界のルールの構築

の両面があるということだ.「自由」の側面は勉強や仕事といった日頃のしがらみから離れられるということで,レクリエーションやリトリートのイメージに近い.そういう意味で「趣味」を捉えている人もいるかもしれない.

www.dkbodybalancingjp.com

その一方で,「遊び」はただ解放されることだけでなく,芸術やゲームのような「自律」性をもった別世界に参入していくことも意味する.その意味では,遊びは「専門的」な活動であり,ぼくが「趣味」としてイメージするのはこちらである.レクリエーションといった言葉がある以上,あえて「趣味」と言うことの意味は「自律」を強調する点にあると考えている.

今回の哲学カフェでは言及されなかったけれど,中井正一の「脱出と回帰」は,まさに遊びがもつ「自由」と「自律」の両面について言及している.そのうえで,生活からの遊離(自由)としての娯楽だけでなく,その芸を追求していった先にある宇宙の秩序(自律)をめぐる苦闘に光を当てている.

青空文庫中井正一 脱出と回帰

対話では,合理性や功利性などの近代的な価値観からの脱出――「自由」――としての「遊び」の価値にスポットが当たった.その一方で,「趣味」を研究するうえでは,「自律」がもつ価値についてもっと考えていきたいという感想をもった.人生100年時代や人工知能の発展といった文脈で「遊び」や「趣味」が取りざたされるときには,コモディティになるのではなくその人独自の意味や価値を生み出していく営みとして,「自由」よりも「自律」が問題になっていると思うからだ.

考える材料をいただけて大変面白い回でした.ありがとうございました.

 

【論文紹介】余暇 vs 勉強:教室でのゲームデザインの課題

Øygardslia, K. (2018) 'But this isn't school': exploring tensions in the intersection between school and leisure activities in classroom game design. Learning, Media, and Technology, DOI: https://doi.org/10.1080/17439884.2017.1421553

1)教室に持ちこまれるゲームデザイン

ゲームの利点

ゲームの教育的効果は一般的に認められるようになってきた.特に最近では,シーモア・パパートの構築主義や,それを引き継いだヤスミン・カファイらのプログラミング教育によって,ゲームプレイだけでなくゲームデザインによっても,21世紀型スキルなどの学習が導かれると考えられている.教室にゲームデザイン活動が持ちこまれることもめずらしくない.

ゲームの課題

その一方で,ゲームは旧来の勉強のイメージと抵触し,教室にゲームが持ちこまれても生徒が上手く活動の目的を理解できないことがある.そこでこの論文は,

教室でのゲームデザインに参加する学生間に生じる緊張関係の特徴は何か?

を相互作用分析によって明らかにした.

2)ゲームデザイナーフレーム vs 学生フレーム

ノルウェーでは教育でのICT利用が盛んであり,ゲームも積極的に取り入れられている.ノルウェー東部のある学校では,6年生と7年生(11歳と12歳)の生徒が3人一組のグループをつくり,4つの歴史トピック(ルネッサンス大航海時代,中世,バイキング時代)についてRPGをデザインしていた.著者はその様子をビデオ撮影し,相互作用のフレームとスタンステイキングに着目して分析した.

その結果として,教室に持ちこまれたゲームデザインにおいて,ゲームデザイナーフレームと学生フレームの緊張関係が生じることが分かった.

ゲームデザイナーフレーム 学生フレーム
ゲームのストーリー,キャラクター,世界観を強調.しばしば勉強の内容は無視する 勉強内容の知識,教科書やウィキペディアなどを根拠に用いる

例えば,ルネッサンス時代の町並みを作成していたグループ.ゲームデザインに熱心なサンダーは,キッチンや寝室が作り込まれた家をつくっていた.それに対し,ロビンは当時の家はそんなに大きくないと意見する.サンダーは家がこうなっている方が楽しいというが,ロビンは馬鹿げているという態度を見せる.

ゲームデザイン活動に,ゲームデザイナーフレームで臨む学生と,学生フレームで臨む学生がいるとき,相互作用のなかで緊張関係が生じるのである.こうした緊張関係を,著者は余暇と勉強をめぐる対立としている.

3)解決策:グラウンドルールの設定

考察において著者は,

アカデミックな学習内容に忠実なことが前提で,それに加えてゲーミングに関する知識をリソースとして活用しよう

というグラウンドルールを事前に設定すれば,緊張関係は生じにくいのではないかと提案している.

このケースでは解決策も考えやすいが,おそらく余暇 vs 勉強の緊張関係は,「ゲームデザイナーフレーム vs 学生フレーム」以外の形でも生じるだろう.伝統的な教室活動と余暇活動が出会ったときに,どんな課題が生じるのか.その課題を解決するにはどうしたらいいのか.といった思考を誘発してくれる論文である.

 

参考

・2006年度Beating特集「5分でわかる学習プロジェクト講座」第4回:ゲーム・プログラミングによる学び方の学び〜『Scratch』 http://fukutake.iii.u-tokyo.ac.jp/archives/beat/beating/026.html

学習=「慣習的な人工物を再生産できるようになること」

1)学習とはどのような個人の変化を指すのか

ksugiyama.hatenablog.com

前回の記事で「学習」とは「任意の2時点における特定の個人の変化を定式化したものである」という条件を述べたが,これは必要条件であって,「学習」を定義するには不十分だった.「学習とはどのような個人の変化を指すのか」という観点から,「学習」概念の意味をより特定できるだろうか.

 

2)学習である変化/学習ではない変化

日常的な言葉遣い:「科学的概念を理解すること」や「道具の使い方を理解すること」は学習と言うのに対し.「相手の意見を理解すること」は学習とは言わない

この用例では同じ「理解」であっても,学習である変化/学習ではない変化が区別される.何によってその区別が生まれるだろうか?

 

これに対する瀬下くんの回答はなるほどと思った.

 

表に整理してみよう.

学習かどうか 学習である 学習ではない
個人の変化 科学的概念の理解
道具の使い方の理解
相手の意見の理解
理解する対象の特徴 他者がつくりだし,ある程度,社会的に慣習化されている 自分がその場でつくりあげる


「科学的概念」にせよ「道具」にせよ,歴史的・文化的に慣習化された人工物である.マイケル・コールの『文化心理学』からの孫引きになるが,歴史的認識論のマルクス・ヴァルトフスキーは「人工物」を「人間の欲求や意図を対象化したもので,認知的・情動的内容がすでに備わっているもの」と定義したうえで,三水準に分類している.

  • 第一次人工物:生産に直接用いられる(e.g. 斧,こん棒,針,食べ物の容器,ことば,筆記具,遠隔通信のネットワーク…)
  • 第二次人工物:第一次人工物やそれを用いた行為の諸相についての概念(e.g. レシピ,伝統的な信念,規範,憲法…)
  • 第三次人工物:想像上の世界(e.g. 芸術,スキーマスクリプト…)

これらの人工物は,先行世代が歴史的につくりあげ,文化的に定着していったものである.それについて理解し,再生産できるようになることを「学習」と言うのに違和感はない.

その一方で,会話している相手の意見への理解は,自分が今,この場でつくだすものである.慣習的に定まっていないからこそ,それは「再生産」ではなく「生産」になる.これを「学習」と言うのには違和感があり,むしろベライターやスカーダマリアの「知識構築」概念のほうがしっくりくる.「学習」と「創造」は概念的に両極にあるということだろうか.ブルデューっぽい話になってきた.

 

「では『つくることでまなぶ』とは何なのか?」と問う人もいるかもしれないけど,「つくることでまなぶ」時に「学習」されるものは数学的概念やプログラミングの概念だったりするので,慣習的な人工物であることに変わりない.でもその時に「生産」されたものは,その人オリジナルなものであるだろう.

「学び方を学ぶ」「創造の方法を学ぶ」といった学習でも,学習の対象は「学び方」「創造の方法」といった慣習的な人工物である.しかし,慣習的な人工物について学ぶことで,個人的かつ革新的な人工物を生み出せるようになる.学び方の学び,創造の学びを探求している人は,「変化を慣習にできるのか」という問題に取り組んでいるわけだ.

 

3)学習とは「慣習的な人工物を再生産できるようになること」 

暫定的に,「学習」とは次のようになものであるとまとめておく.

任意の2時点を比較した際に,ある慣習的な人工物の再生産を,特定の個人がどのようにできるようになったかを定式化したもの

あるいは人工物とは言わずに「慣習」と言い切った方がいいのかもしれない.

任意の2時点を比較した際に,ある慣習の再生産を,特定の個人がどのようにできるようになったのかを定式化したもの

 

参考

文化心理学―発達・認知・活動への文化‐歴史的アプローチ

文化心理学―発達・認知・活動への文化‐歴史的アプローチ

 

 

過去を振り返ることでしか学習は認識できない

1)過去を振り返ることでしか学習は認識できない

日常生活や科学実践において「学習」という現象は次のような特徴をもっている.

任意の2時点における特定の個人の変化を定式化したもの

※これは必要条件であって必要十分条件ではない.例えば「5分前と比べて友達が怒っている」こともこの条件に当てはまるが,常識的にこれは「感情の変化」であって「学習」とは言わない.

この特徴から得られる重要な性質は,

学習が生起したかどうかは過去を振り返ることでしか分からない

ということだ.時点T2に至ってから,T1と比較したときにはじめて個人の変化が認識でき,それを「学習」であると捉えられる.

 

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具体的には次のような研究方法を考えれば,みな過去を振り返ることで学習を認識していることが分かるだろう.

  • 授業開始前と授業終了後のプレテストとポストテストを比較することで学習を認識する
  • 熟達者と初心者を「同一の学習曲線上にある」と仮定したときに,両者を比較することで学習を認識する
  • 回顧的インタビューで語られ意味づけられた状態や出来事を比較することで,学習を認識する
2)いま学習が生起しているかどうかをいかに認識するか

だが,過去を振り返ることでしか学習を認識できないという性質は,

ある瞬間に学習が進行しているのかを認識することは困難である

という帰結をもたらす.そうであるならば,現在進行形の学習に介入することを目指す教育者やファシリテーター,自己調整学習者は,いかにして学習を認識したら良いのだろうか.

 

考えられる方法は2つある.

 2-1)2時点の間隔をなるべく小さくする

過去を振り返ることでしか学習を認識できないといっても,「ごく最近の過去」に着目すると,実践を行いつつ学習を認識できる.

  • 形成的評価:授業終了後に過去を振り返るのではなく,授業の進行中に過去を振り返ることで,学習が生起しているのかを認識する.もし狙い通りに学習が起きていないと分かったら,その場で授業のやり方を調整することができる.
  • マイクロジェネティック・アプローチ:理論的に考えると「2時点の間隔を限りなく0に近づける」という「微分」を行えば,ある瞬間に学習が進行しているのか認識できる.これを目指すのが「マイクロジェネティック・アプローチ」で,参与観察によって学習が起きる瞬間を記述しようとする.また,「ラーニング・アナリティクス」によるログデータの分析も,それを可能にするかもしれない.

 2-2)学習が生起しそうな状況に賭ける
最終的に学習が起きたかどうかは過去を振り返らないと認識できないが,それでも学習が起こりそうな確率は上げられる.過去を振り返るのではなく,未来を予測する方法である.

  • ヴィゴツキーの「発達の最近接領域」:ある個人がひとりで達成できなくても他者の助けを借りてなら達成できる課題があるとき,個人にはその課題ができるようになる発達の潜在性があると捉える.最終的にその発達が起きたかどうかは過去を振り替えらないと認識できないが,しかし現時点で「他者の助けを借りてなら達成できる課題がある」状況があるならば,それは学習の生起を強く予測する.

学習環境デザインは「本当に学習が起きるんですか?」という問いに対して,「~~という条件をしつらえるから起きるはずです」と説得することを宿命づけられている.絶対に起きるとは言えない.起きたかどうかは過去を振り返ることでしか分からないからだ.だが,それでも未来に賭けるわけである.

 

(2018.2.7 追記)

この記事の内容,有元典文先生の「学習という観察」(2013年)をなぞっていることに気づいた.

学習というのは個人の具体的な変化でありながら,同時に観察という実践によって作られる社会的な事象でもある.なぜなら行動の変化は,過去の行動と比較した「行動の変容の認識」によってしか明らかにならないからである.

doi.org

【本の感想】ピーパー (1965) 余暇と祝祭

 まれびとハウスに来てくれた人が「アメリカでヒラリー・クリントンよりバラク・オバマの人気があるのは leisure の姿が見えるから」という話を教えてくれた.オバマが余暇にバスケットボールをしたり家族と過ごしたりしているのはイメージがつくのに,クリントンからは仕事のイメージしか出てこない.そこが二人の違いだそうな.
 『余暇と祝祭』の著者ヨゼフ・ピーパーがいうには,労働が絶対視された近代社会では「困難や苦労を経験しないと高みに至れない」と考えられている.一方で,古代や中世の西洋社会では余暇こそが高みであると捉えられていた.愛をもって自然に世界を「受け取る」状態こそが善であると.
 もちろん,世界を受け取れるようになるため――「余暇をする」ため――に苦労がともないうることは著者も認める.けれど,「苦労したから良い」というわけじゃないだろう,むしろその人が尊厳をもった生き方をするほうが本質だ,という.
 このご時世,著者のいうことはそりゃそうだ,と納得されるだろう.センター試験の倫理の問題として「遊びの意義」が出るくらいだ.だからなおさら,「余暇をする」ことを実践的な問題にしていく時期が来ている.

余暇と祝祭 (講談社学術文庫)

余暇と祝祭 (講談社学術文庫)

 

 

【本の感想】田中 (2017) 関係人口をつくる

「関係人口」という言葉をはじめて聞いたとき,なるほど!と膝を打った.移住してくる「定住人口」でもないし,つかの間に観光していく「交流人口」でもない.二拠点暮らしだろうと,地元の特産品を食べるだろうと,地域と何らかの形で定期的に関わる人びと.日本全体で人口減少が進んでいる状況では,地域は縮小するパイのなかで定住人口を奪い合うしかない.でも関係人口なら,人口が減っても増やせる.ひとりが複数の地域の関係人口になれるからだ.こういう「まだ名前はついていないけれど,それに名前がつくと色んな議論がしやすくなるものに,名前をつけること」ができる人には心底尊敬がわく,というか嫉妬する.

関係人口をつくるー定住でも交流でもないローカルイノベーション

関係人口をつくるー定住でも交流でもないローカルイノベーション